Blind Wind Blog

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喫茶店の暗い机。

夢もロマンもへったくれもない言い方をしてしまえば
武士道というもんは、戦場が仕事場だった男たちが
生き抜くために自然と身につけていった情だと思う。
自分が持ち場を死守すれば
きっと主君が戦況を挽回してくれる。
助けに来てくれる。
そういう信頼がなければ、全力で戦えないでしょう。
戦場では仲間を疑った人間から死んでいった。
背中を気にしながらでなんか、
何も考えず全力で突っ込んでくる人間は止められない。

それに、たとえ死んでも主君は家族の生活を保障してくれる。
勝ちさえすれば、自らの主君さえ守り抜ければ
自分がここで戦っていた意味はあったって信じられた。
だから死ぬことさえも仕事のうちで、
たとえ自分が戦術上の捨て駒であっても、決して無駄ではなかった。
ためらいなく、勝つという共通した目標のために力を合わせられた。

だから、主は家臣の労をきちんと恩賞でねぎらったし
家臣は主のために命を預けることができたんでしょう。
舞台も方法さえも違えど、目的組織の原理は現代と何ら変わりない。


それが江戸時代を経て、武士道は士道という美学に変わり
本分から外れた「守っていた方が格好いい」程度のものになり
事務作業を主としながらも死ぬ機会を求めてしまう
旧い武士との折衷点となっていった。
職場が戦場じゃなくて机の上ならば守るべきルールも当然変わるわけで、
そうした現場では剣術よりも筆学できたほうが評価されるのが当たり前だ。

だからこそ、文さえできれば体面はともかく認められる中で
文武両道を体現した人間は賞賛の的になった。


何が言いたいかというと、じゃあ現代はどうなんだっつー話ですよ。
今、自分がすべきことは何か。
何が一番大事なのか。何は絶対できなければいけないのか。
道場剣術のように日常で役立たないものでなく、
江戸時代の文であり、そして戦国時代で武であった
それが資本主義の現代では何なのか、という。

人生哲学ってのは本来、とても無駄なく構成された機能美であって
後付けされた様式に本質があるわけじゃない。
レディメイドの学をとってつけて都合よく解釈したって中身は無いんだよ。
そのへん見誤りたくねーなと思いました!(何があった)


誤解ないように付記すると、自分も武道をいくつかかじった身ですし
現代武道の精神性を否定する気はありません。むしろ好きです。
ただ、剣術やってりゃExcelマスターできるわけじゃないって話です。



写真はたった今、撮ったもので
何の面白味もないなあと我ながら思うんですが
どうしてだか、不安定な心情が表れている気がするので
そのまま載せてみます。
色味のせいかな。
最近はアールグレイがマイブームです。
忙しくて喫茶店自体、久しぶりになってしまったけど。
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