Blind Wind Blog

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フルーツ。

「罪を犯す理由に正当なものなど有り得ない」

警察官がそう言っているのを聞いた。
私はそれを、素直に格好いいと思った。

だけど多分、意見に賛同したからじゃない。
綺麗事を迷い無く言い切る、その理念にだと思う。

「賄賂をもらっていない国の警察は、優秀」


哲学者のカントは、道徳を説明するとき
「汝の意思の格率が常に同時に普遍的立法の精神に妥当するよう行為せよ」
と、言った。

それは要するに、今やろうとしていることが
いつ誰がやっても正しいって思えることかどうか、
考えて行動しなさいってことだ。

カントの道徳は、汎用的だと思う。
だって、単純に周りのひとを大事にしているだけだから。
マゾヒストがひしめく国ならば、暴力が正当化される。

それは同時に、没個を意味する。
同じ価値観を共有しようとすることで、平和を目指すから。


だけど、人間はどう足掻いたって、他と同じ存在にはなれない。
ましてや違う立場、違う思想を同時に実現はできない。
現実社会では、たとえ個人が間違いに気づいても、
姿勢は貫いて全体のバランスを保たなくてはならない。

警察組織はその最たるものだと思う。
やむを得ない事情があったとしても、人殺しは罪なんだ。
カントの考え方ならば、状況次第で殺しは許容されるはずだけど
今は、そうじゃない。

人間は誰かになるしかない。

自分がどんな綺麗事を吐きたいのかっていうのは
実社会でのスタンスを考える上で、大事なことかも知れない。

人生の価値なんてものが現実にもしあるとするならば、
それはどれだけ自分の理念に殉じられるかなのかなと、思った。
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