Blind Wind Blog

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嘘と真実という対立する二つの概念は、認識上に於いてのみ言うならば
さしたる違いもないのだと私は思っている。

そして、感覚(認識機構)なんてものは割と曖昧で、
その時の気分ですら変わってしまうものだと思う。

最後に、私は感覚を信じている。


詰まるところ、私は真実なんてものを信じてはいないのだ。

私は自分に第六感があると信じている。いわゆる霊感だ。
もちろん、こういうものを否定する人たちがいることを知っているし
彼らと真っ向に対立する気もないので、対外的にはあまり言わない。
家系的に強いとか、そういう根拠もあるにはあるが、
そんなものは証明たり得ないとわかっている。
感覚として、分かる人にしか分からないものは確実にあるからだ。

だが、それ以上に、霊感自体の存在ではなく
特に「自分に」霊感があるということは信じてもらえないと思っている。
何故ならば、私は霊感を、実利的なことにしか利用していない。
厳密に言うならば、私は霊感があるということで、損をした覚えがない。
人情的に、得ばかりしている人のことは否定したくなるものだと思うし
都合の良いことしか分からないなんて能力は、とてもずるい。

幽霊だって、ほとんどの場合見えないし、
意識を集中してそこに居るかどうかを確認したって
まだ完全に自信が持てるわけじゃない。能力自体の底が浅いのだ。

だけど、私は自分に第六感があると信じている。

先日、イタコのような真似をした。
自主的に取り憑かせるなんてことはやってみたことないし
怖いのでやらなかったけれど、亡くなった人を知覚する作業を
意図的に行った。
詳細は語らないけれど、その人が今、安らかにあることを説明しながら
私は自分がとても冒涜的で、非道い奴なんじゃないかと痛く思った。

こういう感覚を通じて他人を癒そうとすることは、とても卑怯だ。
だって、何の根拠もない。騙してるといわれても否定できない。
私は私にしか分からないこと、錯覚でしかないかも知れないことで、
人の気持ちを収めようとしている。
もし、本当に死後の世界があるとして、もし、私の能力が足りてなくて、
本当は死者が苦しんでいるというのに、生者を安心させて
悼む気持ちを穏やかにさせてしまっていたなら、
死者は一体どう思うだろう。やるせなくはないだろうか。
ましてや、私は悪い感覚をあんまり受け取ることができないし。

でも、私は私の感覚を信じて、様々なことに素直になるしかない。
能力を否定しないということも、一つの正直であるということは
もしかしたら、理解しにくいことかも知れない。
だけど、初めから無いと思ってしまうことは、確実に芽を潰すと思う。
少しでも可能性があるならば、それに誠実に対応すべき。
他人の望みを叶えられる可能性がある力ならば、尚更のこと。


真実を信じないということは、嘘を否定しないということ。
全てのことは、等価値に並列するということ。
ありのままを、受け入れるということ。


冒頭の理論は半ば自分の生き方への肯定であり、
純粋に理論のみを信奉しているわけじゃないと自分で思う。
だから、人に説く意見としては不純ですらあるのだけれど
そのことへの冷静かつ客観的な自己批判として、私は私自身を
「嘘吐き」と称する。

ああ、自己矛盾。
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