Blind Wind Blog

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川の光

存在が変わるほどの夢を持ってみたくなる


天候で体調ががらっと変わる年齢になってしまったようです。
ここ数日荒れていたから、バランスを崩した。

昨日一昨日と違って、今日は良い天気だけど
今はなんだか青空が絶望的に見える。
つたない表現力で無理矢理に説明するならば
圧倒的な距離感と、膨大な空間と、蒼さ。
何も変わらない世界と、幼い頃に見たのと同じ光。
衰えた自分。
すべてがずっとこのままなんだろう、
そして何十年経っても私が死んでも景色は変わらないのだろう、
なんていう、大ざっぱな虚無感。

最近よく眠れない。
 
考えるに、
おそらくどれだけ小さな変化に気づけるかなんだと思う。
些細なことを楽しめるっていうのが、いわゆる機微であり
日々を楽しむコツなんだろう。

ただ、衣食住を始めとした、生活に対する不安がなく
平衡感覚を保てる状態にないと、それは無理な気がしている。
加えて希望が要る。
人を生かすのは希望だというけど、
先が楽しみじゃなければ確かに進む価値を感じられない。


世紀末思想は、ノストラダムスの例はもちろんのこと
平安時代にも末法思想という、仏教でいう終焉があったわけだし
キリスト教にも最後の審判がある。
これって「全部いつかは終わるから」っていう、
救いなのかもしれないと思う。

新興宗教とそうでない宗教の差は、
現世利益を謳うかどうかだって聞いたことがある。
生きているうちにいいことがあるなんて教えは
基本的に豊かな時代の、豊かな層にしか成り立たないのも事実だと思う。
死んで極楽に行ける。死なないと楽になれない。
だからそのときのために念仏や題目を唱える。
そんな考え方を、中世の農民は受け入れていた。

では、彼らは何を支えにして生きていたのだろう。
全力で頑張って生き抜かないと極楽浄土に行けない、なんて
そんな考えだけで、今を耐え抜けたのかな。
私にはなかなか想像がつかない。

世紀末思想は定期的に持ち上がってくるそうな。
今はまだ、アンゴルモアの大王から8年しか経っていないから
しばらくは出てこないと思うけど、
次にそういう終末が来るって噂がはびこるのはいつだろうなって
なんとなくだけど、思っている。

そのときまでには、
世界の滅びを全力で阻止できる人になっておきたいものです。

正義の味方は、きっと幸せじゃないとなれないものだと思うんだ。
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