Blind Wind Blog

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街の夜道

変な話かもしれないけど、
私の場合は心の扉を閉じれば閉じるほど文章が進む。
コミュニケーションを絶つという意味ではなく、
読む相手のことを考えないということ。
世界中で自分以外に人間がいないという仮定を行うこと。
 
形を整えるときには見手のことを考えることは必須、
だけど少なくとも、第一次生産、活力としては
自分自身が納得さえできれば何でもいい。
そして才能はこの部分にあると最近感じている。

ぶっちゃけてしまうと、読む人を傷つけないようにとか
他人の顔色を窺ってばかりいては、自分でもおもしろくなく
ド鬱のときに本心に触れずそっとなぞる程度に書き殴った
何も考えていないテキストの方が読むに堪えて
実際、自然なんだと思う。

幾晩も徹夜したり断食したり精神的に追い込んだり、
そうしたほうが実のあるものになる気がするのは、
それが社会的な自分を抹殺して、
一個体としての私を露出する作業にあたるからだと思う。
見栄っ張りでくだらないことに気を遣いすぎるから
一度自分を殺さないと、歩くことさえままならない。

(そうして社会に戻ったときに自己嫌悪したりするんだが)
(たぶんこのテキストも)

自分が何者かになることは未だに許容できないけれど
自分であることを認められるようにはなってきた。
外殻というか、皮膚というか、自分の形。
私という人間を、社会的な側面からだけではなく
生物的に、客観視できるようになってきたと感じている。

優等生は芸術をやるべきではない。
友達と話しているときに自分が言ったことだけど
少なくとも優等生を目指している人が
そのままでやっていけるのは、半自伝が限界だと思った。

欲望を捨て去っても世界は脱せない。
滅私したって万民に受け入れられるわけじゃない。
私も私自身のわがままを聞いてやっても大局に変化はない。
当たり前のことなんだけど。

どうしようもないことは考えない、というのが直近の目標。
とりあえず、目前を生き、過ごす。
刹那的であることも、近いうちに脱せればいいと願っている。
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