Blind Wind Blog

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その日、僕は食事をするのを止めた。

深い意味があったわけじゃない。ただなんとなく、で済ませられるような、
そんな些細な感傷。そのために、僕は食欲を無くした。
空腹がカタチを取って、じわじわとお腹の内から
痛みと共ににじみ出てくるような、そんな錯覚がする。
体はだるくなり、思考力は徐々に落ち込んでいく。

「なんでこんなことをしているんだろう」
そう思い出したら、何か食べようと思った。

……まだ、水だけでいい。

パソコンの前で無為にキーボードを叩きながら、
ミネラルウォーターを口に含む。
微かに苦い味がしたような、気がした。
 ―――――――――


遠い遠い世界で起きている大きな事件よりも、
小さな小さな世界で起きた身近な事件の方が影響力があるというのは
間違えようのない事実で。
だけど時々、そのことが悲しく思える。

世界が変容するほどの出来事に、本当に心を痛めることが出来るのは、
やっぱり自分が当事者になったときであって、それはつまり僕は僕という
一個人の枠から抜け出せないと言うこと。
本当は世界とシンクロして、世界の出来事を自分のことと思って
心痛めるようになりたい。
だけど、実行に移そうとすると、それは偽善になってしまう。
だって、思い込むことでしか悲しむことが出来ないから。
目の前で銃で撃たれた人がいたとしても、痛むのはその人の体。
僕は微塵も痛くない。
カッターナイフで手首をなぞる時の方が余程鋭利に感覚を刺激される。
理解できないのに、どうして共有することが出来るだろう。
どうして説得力を持てるだろう。

世界の痛みが僕の痛みになればいいと願う。
その為には、一体どうしたらいいんだろう?


 ―――――――――


友達に、「君は人を信用しないんだね」と言われた。
どんな時でも冷静に状況を判断する思考を生まれ持った僕は、
例え打ち明け話をするときだって、
それをバラされた時のことを考えながら話をする。
僕のことを深く知っている人と付き合うときには心地よさを覚えるけれど、
それでも、ずっと奥にもっと深い自分を隠し持っている。
それは、信用していない、ってことなのだろうか。

考え出したら、分からなくなってしまった。

誰に対しても、僕は誠実であろうとしている。
相手と対等な関係であろうとしている。
だから、秘密を教えてくれたら、僕も自分の過去を告げる。
そうすることが正しいことだと思っているし、
余計な蟠りを抱えないで済むから、
お互いに楽な関係で居られると思う。
逆に言うと、自分から持ちかけた関係の時にもそれは言えるわけで、
僕のことを知られた分だけ、相手のことを知りたいと思うし、
イーブンでいられない関係には
居心地の悪さを覚えてしまって、長続きしない。
それは、握られた弱みを、握り返すことで
安心しようとすることなのかも知れない。

もし、本当に、自分の心を全てさらけ出してくれる人が現れたら、
僕は僕の全てをその人に見せられるだろうか。
相手に依るのかも知れない。
もしその人が、僕と同じくらいの深さを持たず、
すごく底の浅い人間だったら、
僕はその人と同じ深さしか、きっと見せられない。
逆に僕よりずっと深い心を持った人間に、その全てを見せられたなら、
僕は萎縮して、その人の前で自然に振る舞えなくなってしまうかも知れない。
確実に言えることは、今まで僕の全てを把握できた人間は一人も居ないし、
自分からさらけ出す試みをしたことすらないってことだ。
何故なら恐怖があるから。所詮その程度の人間だと思われて、
愛想を尽かされるのが怖いから。
だからいつも、徐々に、自分を教えていけるような間柄を築こうとしている。
いつか全てを理解してもらえればいいなと思って。

信用は100%と0%のどちらかしかないわけじゃない。
だから、今はきっとこれでいいのだと思う。

だけど人に言わせれば、これは信用していないってことなんだろうな。


 ―――――――――


僕はとても不完全な人間で、そのくせ理想ばかり高くて、
時折ひとりで潰れている。
あと数ヶ月で21だっていうのに、僕はいつまでも思い悩んでばかり居る。
大人になったら、きっと悩むことなんか無くて、
自分を活用することにだけ集中していればいいのだと思っていたのに。

まだまだ、成長過程なんだろうな。


 ―――――――――


2003/3/21/14:39 オリジナル。
2006/3/1/14:00 一部削除して、再掲。

あれから三年。少しはあの頃より誇れるようになっているだろうか。
良くも悪くも近視眼的になった気がする。自分のことばかり考えてる。
生き易くはなったけれど、私の理想、失ってはいないだろうか。
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これ、3年前の文だったのか… 最後まで気付かなかったっす。
先ず筆力に驚いたっす。やはりプロの文章は全然違う。オーラを感じました。

と、ちょっと脱線したところで

近視眼的か… 的はずれかもしれないけど二宮金次郎の格言「凡人は小欲なり。聖人は大欲なり」を思い出した。
そうだとすれば、私は小欲だな。自分の家族を幸せにするだけで精一杯だから。

Bさんは、大欲を目指すかな?

2006.03.02 01:03 URL | ちびっこビル #VMPjbSsU [ 編集 ]

最近、過去ログ読み漁ることが多いのですが
三年くらい前のほうが、日常描写の文章は生き生きしてるんですよね。
毎日エッセイとして、読ませることを前提として書いていたからでしょう。
先月以降は、病気も治ったことだし
少し自分に厳しく、テキストサイトだった頃以上のクオリティを目指したいと思います。

私は大欲を、叶えます。
元より身近なことに欲はほとんどないのです。
ある意味、破滅的。

2006.03.02 09:35 URL | B #mQop/nM. [ 編集 ]












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